マタイ4章

4:1 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。

4:2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。

 お腹が空くということは、肉体の性質です。体を保つためにお腹が空き、食べ物を食べたいと体が要求するのです。それは、もはや私たちの意志とは関係なしに働きます。食べないと決心したとしても、食べ物が目の前にあれば、手を出したくなるのです。そこには、肉の欲が働いています。

4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」

 試みる者は、悪魔です。悪魔は、人を誘惑することに長けています。そうして、神様の御心に適わいことをさせて、神の栄光を汚そうとするのです。

 ここでは、イエス様を試みました。悪魔は、神の御子が人の性質を持っていたので、すなわち、肉を持っておられたので、そこに働きかけて神の御子にふさわしくない行いをさせようとしたのです。それによって、神の子をそしるためです。

 悪魔が求めたことは、神の子であるならば、石がパンになるように命じなさいというものです。お腹が空いたら食事をすることは、正しいことであってなんの問題もありません。しかし、神の力を使い、石をパンにし、空腹を満たすために食べることには、問題があります。神の力を自分のために用いることになります。自分を満たすという目的のためには、自分の持っている神としての能力を自由に使っていいということになります。それが人として神の前に正しい生き方であるかどうかが問題なのです。

 悪魔は、「神の子なら」と言いました。それは、空腹を満たすことの他に、それをしたほうが良いと思わせるもう一つの誘惑を入れたのです。それは、石をパンに変えることで、神の子であることが証明されると思わせようとしたことです。

 悪魔の誘惑は、このように巧妙です。肉を満たす正当な理由を与えることで、肉を満たすために行動するように誘惑するのです。私たちがしばしば肉の誘惑に落ちるのは、それをすることが良いことであると思わせる理由を持つからです。

4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

 イエス様のお答えは、人の生き方について示すことでした。パンを食べることすなわち食事をすることは、人の体を生かすという人の持っている欲によることです。人は、自分の欲の望むことを行うのです。しかし、それだけが人が生きるということではないのです。体が保たれるために欲に従って、お腹が空いたら食事をすることは、良いことです。しかし、それが全てではないのです。

 神様は、人をお造りになりましたたが、人が他の動物のように、体が保たれ、そして、次の世代を生み出すためにだけ生きるようにされたのではないのです。人が生きるというのは、神様との交わりの中に生きるためです。神様に似たものとして造られ、神様と完全に一致して一つになって生きるためです。そのようにして、神の目に適った者になるためです。そのために、神様は、人に御言葉を与えられました。その一つひとつの言葉で生きるのです。

 イエス様の答えは、旧約聖書の引用です。

申命記

8:3 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。

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 人は、神の口から出る一つひとつの言葉で生きるのであって、イエス様は、自分の欲のために生きないことを示されたのです。

4:5 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、

4:6 こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」

 イエス様が御言葉で答えたのを見て、悪魔は、方法を変えました。聖書の言葉を使って、試みたのです。

4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」

 しかし、イエス様は、それは、神を試みる行為であることであり、してはならないことを御言葉から指摘されました。それをするか否かは、神様の主権によるのです。神様を求める者を祝福しようという神様の約束を神様は忠誠をもって果たされます。しかし、いつ、どのようにそれを現すかは、神様が決めることです。人が神の約束をたてに、その実現を自分の望むときに迫ることは、神の主権を犯すことであり、神を試みることです。

 ここには、人が自分を高くし、神の上に自分を置くことが潜んでいます。全てのことを自分中心に考えようとする人の思いに付け込んだ誘惑なのです。

 聖書の言葉が正しく用いられないと、非常に危険なものであることも教えられます。悪魔は、その聖書の言葉を用いて、罪を犯させようとするのです。

詩篇

91:11 主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。

91:12 彼らはその両手にあなたをのせあなたの足が石に打ち当たらないようにする。

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4:8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、

4:9 こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」

 悪魔は、この世の全てを与えようと云いしました。そこには、栄華がありました。悪魔は、この世界を任されています。そして、人が自分を満たすものを提供することで誘惑するのです。この誘惑は、目に訴えました。肉の欲に直接訴える最初の誘惑に対比して、もっと高度なものです。例えば、美しい物を手に入れても、見るだけで腹の足しにはならないのです。しかし、人は、宝石や絵画などに多額の金を払うのです。肉の欲を超えた次元の高い欲求が人にはあるのです。

 それは、イエス様が言われたように、この世界を手に入れることです。それは、自分を満たし、自分を喜ばせることです。しかし、そのようなことに価値はないのです。

マタイ

16:21 そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。

16:22 すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」

16:23 しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

16:24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

16:25 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。

16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。

16:27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。

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 イエス様は、弟子としてイエス様に従うことは、自分を捨てることであることを教えられました。自分を捨てることは、この全世界を手に入れて自分のために生きることと反対のことです。イエス様御自身は、十字架にかかられて死なれることを語られた直後にこれを示されたのです。イエス様は、自分のために生きる方ではなかったのです。

4:10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

 拝むぺきは、神であることを明確に示しました。誘惑は、人を高め、人が自分のために生きることをさせようとするものです。しかし、イエス様のお答えは、人は、主を自分の神として礼拝すべき方であることを示されたのです。礼拝は、上位の方にひれ伏し、地面に口づけすることです。神が自分よりも上の方であることを認める行為です。これは、自分のために生きることとは違います。

 そのうえで、主に仕えるのです。仕えるというのは、しもべとしてその言われたことを行うということです。私たちが仕える方は、主だけであるということです。これも、自分のために生きるのではなく、主にのみ仕えることが人の生きる道であることを示されました。もちろん、悪魔に仕えないのです。

申命記

6:13 あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。

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4:11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。

 御使いは、イエス様が肉体を取られましたが神の子であることを見て、仕えたのです。イエス様が神の言葉に従うことで、イエス様が神であることが現されたのです。

4:12 イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。

4:13 そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。

4:14 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。

4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦人のガリラヤ。

4:16 闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」

4:17 この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。

4:18 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。

4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

4:20 彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。

4:21 イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。

4:22 彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。

4:23 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。

4:24 イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。

4:25 こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。